私の空

空を見上げるとある光景が浮かびます。それは...

お台場 ユニコーンガンダム 2026.06

2017年から公開され、今年8月で終了するユニコーンガンダムを見にお台場に。

ビルの隙間からユニコーンガンダムが見えてきた。

緑の公園を抜けていく。

ダイバシティの前に立つユニコーンガンダム。身長約20m、アニメと同じ大きさ。

早朝の誰もいない時間を見計らってやってきた。ガンダムをひとりじめ。

ユニコーンガンダムと言う名の通り角が特徴だ。そして、戦闘モードになるとこの角が左右に開く。

そのため、戦闘モードになる昼の定刻になるまで、待つことにした。

 

再び11時前に行ってみると、すでに多くの見物客がいた。老若男女そして、外国人、様々な人がいて、この瞬間を待っている。

そして、遂に11時ちょうどになると『バナージ・リンクス、ユニコーンガンダム行きます。』の声と音楽ともに始まった。

まず、膝が開き、次に顔が開き、

角が2つに開いた。

その間、わずか1分半ぐらいのショーだった。

その後、またもとに戻った。集まった群衆も終了と同時に四方に散っていった。私もこの瞬間を堪能して、この場所をあとにした。

しかしながら、現実にガンダムなるものが作られて、戦争が行われる世界であっては困る。

物語の世界だけであってほしいものだ。

静御前ゆかりの地 古河 久喜 2025.05

昨年の中国地方巡りの際に静御前の生誕地や墓など、ゆかりの地に行った。そして、ここ関東にも、静御前ゆかりの地は存在する。

茨城県古河市にあるトモエ乳業の敷地の一画には笠に手をかけ旅姿の静御前の銅像が建っていて、その目の前にかかる橋は思案橋という名前がついている。普通の橋なので、知らないと通り過ぎてしまう。

義経を追って奥州へ旅する途中、この地で訃報を聞き、これからどうするか思案したという伝説が残り、トモエ乳業の方が建てたとか……。

義経伝説と同じように、静御前伝説も何百年たった今もあちらこちらに残っている。記録の乏しい時代にもかかわらず……。

そして、埼玉県久喜市にある栗橋駅にも行ってみると

ここでは、ゆかりの地ということで、駅構内には、のぼりと看板が立っている。

栗橋駅改札で。

抱っこしている立て看板。

栗橋駅から出て、歩いてすぐの所に、静御前の墓がある。奥州へ行く途中、病で亡くなったという言い伝えが残る。

 

それぞれがいろんな言い伝えをもとにその人物を偲ぶ。墓の向こうで何を思っているのかはわからないが。

墓で、そして、手をあわせる。

 

遠い昔のことなので、ただ目を閉じて想像するだけである。

義経や静御前が生きた時代を。

 

 

風車の弥七の墓 2026.5

この紋所が目に入らぬか?

人生楽あーりゃー苦ーもあるさー♫

水戸黄門がお茶の間から姿を消して、10年は経つだろう。今回、ずっと行きたいと願っていた『風車の弥七』の墓に行くことができた。

ちゃんと古めの地図には載っている。それは茨城県に入り、真岡、益子と抜けて2時間、常陸大宮市に存在する。しかしながら、水戸黄門が終了してしまった今、関連性はわからないが、廃虚と化していると聞く。やっぱり番組終了の影響はあるだろうし。

例え、廃虚だろうと私は夢と希望を胸に走る。

無事にナビの示す場所に到着。かなり古びた案内看板が立っている。

隣には弥七の住居跡の碑が。ちなみに弥七はあくまで架空の人物である。

道を挟んで山の斜面、麓に墓と廃虚となった施設が建っている。

最初におトイレを拝借。かつてはこちらの男性用には弥七、女性用には妻お新の表札がかかっていたようだが、今はない。

空洞化した施設には、遺物が残されている。

廃虚に立っているとかつて栄えていた文明の遺跡にいるような感覚におちいる。壁に掲げている写真には隆盛を誇った良き時代の人々が写っていて、目を閉じると笑い声が聞こえてきそうだ。遺跡調査って感じか。

実際、弥七は架空の人物であり、元忍者で義賊の設定である。そして、この地に存在したのは『松之村小八兵衛』なる人物で、元盗賊で光圀に命を救われ、隠密として、水戸領内を守ったらしい。

しかし、弥七が松之村小八兵衛をモデルにしたのかは定かではなく、弥七の墓が公認か非公認かも私にはわからない。

墓に登って行く。以前は入場料金も徴収していた。

階段を昇っていき、下を見下ろすとかつて掲げていた看板があり、寂しく落ち葉に埋もれている。

墓に到着。真ん中に菩薩様、左側に弥七、右側妻お新。もう管理はされていない感じ。これが松之村小八兵衛さんの墓なのかはわからない。

弥七はあくまで架空の人物です。

真偽はわからないが、いろいろなことを空想するのが楽しい。はるばる来た価値はある。

いつかまた時代劇ブームがやってきて、水戸黄門が製作されることがあるなら、その時にはここで赤い風車が回る日がくるかもしれない。

渡良瀬巡り 2026.5

渡良瀬遊水地のある場所は栃木県的イメージではあったが、実際は4県にまたがっている。また、ラムサール条約に登録されている地域である。

青い空と水の青と新緑の緑を見に向った。

暗いうちに出発。

寒い中、日が昇るのを待ち構える。空が明るくなってきた。

日が昇る。

あーたーらし〜い朝が来た、きぼーの朝が♫

そして、近くの道の駅かぞわたらせへ。

入り組んだ地域らしく走っているこの場所は栃木県栃木市で、ここから先は群馬県板倉町のようだ。

すぐに何秒もしないうちに埼玉県加須市に入る。

道の駅に到着。

ここから近くの有名な三県境に行くことにした。徒歩でも500mで行けるが車で。

栃木県栃木市に入った。県境。

ナビが示すように細い側道を下って行く。狭い道に行くんじゃないかと嫌な予感が。

下って左折すると、まもなく三県境を示す看板が。

駐車場に車を停める。早朝から来てる人はいないようだ。

のぼりの旗が立っていて、その向こうは先程の道の駅まで道が続いている。

まさにここがこの場所だ。茨城にも近い。

ん〜。すごい感動はしない。

そして、この地から出発した。

 

午後に再び、道の駅の展望台から渡良瀬遊水地を眺めたところ、空の青さと緑の眺めの良さに、また行くことにした。

再び狭いゲートから入って行く。

朝とはまた違った色合いで。

ハート型と言っているが、まあハート型に近いという感じか。

橋を渡って、

世界が広がっている。澄んだ青さの中、湖の真ん中に道が続く。空色に染まる湖。

人もまばらでのんびり。

朝とは一転、気温も上昇し、初夏のような暑さのため、手頃なところで折り返すことにした。

 

 

また来たくなる青さに名残惜しみながら、帰りのゲートを出たのだった。

 

関宿城 桜巡り 2026.03

この桜の時期になると必ず関宿城に足を運ぶのが、年中行事になっている。この朝の予報は曇りだが、やはり曇っている。関宿という地域は微妙な所に位置している。千葉県の最北、川と川の間に位置して、茨城や埼玉にも接している。関宿城はその土手のような堤防の上に作られている。

埼玉県の幸手側から関宿橋に着くと黄色い菜の花が見え始め、遠目に関宿城を見ることができる。橋を渡って、そのまま新しい道を真っ直ぐ行くと着くのだが、渡ってすぐ左折して、土手沿いの菜の花の道を走るほうが好きだ。

そうすると見えてくるのが、

鈴木貫太郎記念館。鈴木貫太郎と聞いて、分かる人がいるかどうか、終戦時の内閣総理大臣であった人物である。私も知らなかったので、調べてみると、2.26事件で死にかけていたり、ポツダム宣言を受託したりと私にはとても語り尽くせない人物である。

その鈴木貫太郎さんの故郷がここ関宿であり、また、ここで亡くなられた。

以外に目立たないので、よく見ていないと通り過ぎてしまう。しかしながら、現在休館中だそう。いつか行ってみたい。

前置きは長くなったが、記念館を過ぎてしばらく走り、左折するといよいよ関宿城が見えてくる。

関宿城博物館を囲うように公園と土手があり、そして、この時期、桜のある所と同じように桜祭りが行なわれている。しかし、早朝のこの時間は、ほとんど人が見当たらない。

雲に覆われているが、桜は満開だ。

 

土手や裏庭には菜の花も一面に。しかし、注意が必要なのは、歩くには足元がぬかっていることが多いので、防水の靴がおすすめだ。

 

桜の下を抜けると城の裏側に。

正面側の離れた橋から城と桜と菜の花を。

下から見上げる。

晴れていれば良かったのに⋯⋯

 

そう思った私は再び午後に家族を引き連れて、リベンジすることにした。

途中、道の駅庄和に立ち寄る。以前は庄和町だったこの町も春日部市になってしまった。春日部が大凧の町になったように、逆を言えば、旧庄和町の町民もクレヨンしんちゃんの市民になった。

再び、参上。

午後には、多少の日差しも感じられ、少し暑い。

いつも1人で撮る写真も⋯⋯。

短い桜の季節

今頃、幸手権現堂はものすごく混み合っているだろうにと思いつつ、この平安にふける。

 

また1年、年を取った。

中国地方巡り 2025.5 No.13 13日目 最終日 

出発はしたものの、まだ帰るには名残惜しく、日本海に出て、京都の京丹後市の夕日ヶ浦海岸に。

しばらく日本海も見納め。

早朝の海は人もほとんどいなく、ブランコに乗るのも恥ずかしくない。

高速道路入口に向かって走っていると、かなり大きな立て看板を見つけた。山口市で行った静御前の墓、そして、ここ京丹後市には静御前の誕生地があるらしい。見てしまったので、興味をそそられ、行くことにした。

さっそく調べて、向かってみる。住所らしき所に向かってみるも、よくわからず、神社らしきものにたどり着いた。

もしかしてと思い、行ってみると、そこは静神社、祀られているのはやっぱり静御前だった。

階段を昇って、参拝。

来れたことに感謝した。

 

街角にあの大きな立て看板があったのだからと思い、もう一度探索した。

そうすると小さな案内版を見つけた。しかし、徒歩でしか行けそうにない。集落に入っていくみたいで気まずいが、勇気を出して。

こんな所にあるのかと不安に思いつつも、住宅の細道を抜けて、

抜けた所に静御前の誕生地の碑を見つけた。ただの碑であるが遠い昔を想像するのである。

後ろには、大きな海が広がる。

静御前はこちらで生まれ、また、余生もこちらで過ごしたと言われている。そして、お墓はあちらこちらにあるらしい。

そして、碑をあとにして、これ以上、何も見つけないうちに高速道路の入口に入った。

入れば、もう帰るだけ。

  

ほっとしつつ……       

しかし、まだ旅は終わらない。東名高速の愛知県岡崎市を走行中、速度違反で取り締まりを受けてしまった。100kmのところ、116kmで。

言うまでもなく、13日間のすべての中国巡りの思い出がスピード違反の思い出に塗り変わった。

その後、落胆しながらゆっくり帰ることにした。これが最終日の顚末である。

 

しかしながらも、この一心に走った13日間、また、三脚の前に立つ一コマ一コマが思い出される。新たな次の瞬間が待ち遠しくなる。

 

そして、次に向けて、私の旅もまた少し進化する。

思い出は塗り変わることはない。

中国地方巡り 2025.5 No.12-3 12日目 津山城 衆楽園

美作市宮本武蔵巡りを終えて、そこから1時間走り、津山城にやって来た。

この旅の中で、多くの城を見てまわったが、そんなに見識があるわけではない。知識もない中、ただ城を見て、想像と感慨にふけっているだけである。

駐車場からなだらかな坂道を歩いて入口に。なだらかな坂道は好き。

入口で、銅像とともに記念撮影し。

初代城主 森忠政

入口から石段を歩いて、天守跡を目指す。

ずっと天守閣と思っていた建物も、調べてみたら、見えるのは備中櫓という櫓だった。見え方によっては、天守閣にも見える。しかしながら、天守閣は現存していない。

 

津山城のシンボルとも言うべき備中櫓。

紫陽花も咲いている。

 

備中櫓に到着。

そこから石垣を抜けて、天守閣跡に

天守閣跡に到着。

町並みと山々を見渡す。

帰りは別の道を下り、公園の正面入口から出ることにした。

正面入口。そして、ここから城の外周を一周して、津山城をあとにした。

 

次なる訪問地に。

衆楽園(旧津山藩別邸庭園)へ。津山城から、すぐ近くに位置して、無料で開放されている。

さほど大きくはないが、手入れがされていて、別邸というか、庭園って感じだ。

 

紅葉や雪景色なら、また違った景色が楽しめるに違いない。

 

 

衆楽園を最後に中国巡りを終了し、中国地方から脱出して、兵庫県に。

残り2日あったが、余裕を持って、1日早く切り上げることにした。

残りあと1日。

 

やっと中国地方巡り編が完結する。